HIGEDARUMAです/
2018年11月にベトナムのラオカイと国境を接する町、中国の河口へ行きました。
当時の町歩きの様子を写真を交えながら紹介して行きます。
目次
中越友好橋を渡り河口へ
ベトナムのラオカイから中越友好橋を渡り、中国の河口へ入国した。
河口を訪れるのならベトナム側からのアクセスが簡単だと思う。ハノイからラオカイまで寝台列車で行き、ラオカイ駅から国境のイミグレーションまでは歩いて20分程だ。ハノイから半日ちょっとで行くことができる。
ベトナム側から入国すると両国の違いがよりはっきりわかるような気がした。
友好橋を渡りきったところにそびえる大きな中華人民共和国の国旗。保安エリアだが、写真撮影は自由に行うことができた。
集まるイミグレーションの職員たち。ベトナムとの温度差が感じられた。
中国側の河口とベトナム側のラオカイはその間に流れる紅河(ソンホン河)が国境となっている。それぞれの町は国境のイミグレーションまで続いているがお互いの町の雰囲気や景観はかなり違っていたように思える。小さな川に掛かる橋を渡っただけで国や言語、文化、人柄など全てが変わるのでとても興味深い。
友好橋の上は多くの中国人・ベトナム人で賑わっている。見た所、ベトナム人は中国へ出稼ぎに行っている人が多かったように思う。たくさんの荷物を自転車や脚立に積み込み橋を渡っている様子が伺えた。一方で中国人は観光のためにベトナムを訪れている人が多かったように思う。身なりがしっかりしているのが印象的だった。サパなどへ向かうのだろうか。
友好橋の上の様子。商いを行うおばちゃんから若者まで色んな人が渡っている。中国人よりもベトナム人の方が多いように見受けられた。
物は使い方次第だということを教えられた。
友好橋の上で立ち往生する商人のおばちゃんたち。橋の上は思った以上に自由だった。
イミグレーション前から北上
入国審査を終えて、イミグレーションの建物の前から町歩きを探索することにした。
外国人の観光客が少ないのか、不審な声かけなどはなかった。
河口の町の中心はイミグレーション付近ということもあり、人も店もこの辺りに集まっている。
イミグレーション前には大きな雑居ビルが道の両端にそびえており、この道を進んだ。
イミグレーション前の雑居ビル。雑居ビルは住居となっており人が生活しているのが伺えた。
道の両端では生活用品が販売されていた。梱包された商品が道に積まれていたのでベトナムから輸入された商品だと思われる。
衣服やスーツケース、おもちゃ、生活用品が売られていた。
ラオカイと違い建物の密集率が高い。狭い土地に雑居ビルが隙間なく建立している。
香港で見るような雑居ビル群。河口では友好橋に続く見所かもしれない。
イミグレーションの建物前にあった旅行代理店。ベトナムのビザ手配やビザ用の写真撮影などのサービスがあった。
屋台で卵サンドを買う
雑居ビルの通りを抜けたところに卵サンドを販売している小さな移動式の屋台があったので立ち寄ってみた。
見た目は日本で言うところの回転焼きにそっくりだ。
カリッとした生地の中に目玉焼きとケチャップが入ったシンプルなものだ。
八角やパクチーのような香辛料は一切入っておらず卵焼きとケチャップのみ。シンプルな味だが小腹が空いた胃袋にはちょうど良い。
値段はひとつ5元(約85円)。ベトナムと比べると物価がかなり上がったように思える。
店主の気さくなおじさんはこれは何かと聞くと携帯の翻訳アプリで訳してくれた。リーベンレン(中国語で日本人)と言うと喜んでくれた。4元にしてくださいと交渉したら、それは無理だよと軽く断られた。ベトナムと違い値切りの文化はあまり無いようだ。ベトナムドンは使えなかった。
中国ではこういった露店販売の制限が厳しいのか、パトロール中の警察官に注意されて立ち退きをさせられていた。
中抜き通り・路地を進む
特に行き先は決まっていなかったので、ひたすら路地を北西の方向に進んだ。
雑居ビル下の路地に突如現れた高級そうな服屋。
高そうな服屋が並んでいる。すぐ上は雑居ビルとなっており周りの景観と調和していなかったのを覚えている。
中抜き通りの様子。ヤシの木と欧米っぽいビルの作りが良い雰囲気を出していた。
河口にはピンク系のお店がたくさんあると本で見たことがある。ここの路地にはSPAやマッサージのお店がたくさんあったのでもしかしたらそうかもしれない。店の中は閑散としていた。
顔以外の毛を刈り取られてしまった犬。心なしか悲しそうな顔をしている。
大通り沿いからベトナムを眺める
路地を北西の方角に進んでいると大通りに出た。
大通りの様子。中国の大通りは道幅が広く、地面が綺麗に整備されているのが印象的だった。
大通りは紅河に沿って北西に伸びており、紅河のすぐ向こうはベトナムのラオカイとなっている。
町の開拓度合いや建物の密集率を比べて見ると面白い。向かいのベトナム側にも大通りがあるらしくバイクがたくさん走っていた。地元の人は対面の中国を見て何を思っているのだろうか。
上の写真左側の鳥居から川の麓あたりまで降りることができる通路があった。
紅河に浮かんでいた遊覧船のような船。国境ギリギリだが法的に問題はないのだろうか。
川の向こう側のベトナムを見ながら黄昏ていた。
ベトナムのSIMカードを持っている人は国境にある程度近い場所ならベトナムのキャリアの電波を拾うことができる。それゆえグーグルマップやSNSが利用できる。
町の奥の方へと進む
国境のイミグレーションとは反対方向である町の奥へ進んでみた。
イミグレーションに近いところはベトナム語の表記があったり、出稼ぎのベトナム人が居たりと国境らしさがあったが、町の奥の方へ進むにつれてベトナム感が減り、中国感が増していったように思える。
古楽器で演奏する老人。チップ置き場を作ってないのはなぜだろうか。
学校の様子。きちんと教育システムが構築されている。
学校終わりの帰路を友人と楽しむ若者達。
活気ある路地での一枚。飲食店など生活に必要なお店はある程度揃っている。
中国らしい雑居ビル。良い下町感を出している。
建築中の高層マンションに圧倒される
町探索も結構奥の方まで来たのでそろそろ引き返そうと道を外れることにした。
すると下町感満載のエリアの中に突如、建設途中の高層マンションエリアが現れた。
外観はリゾート風の作りでおしゃれだ。ベトナムの建築に寄せているようにも見える。
30階ほどあると思われる。これが3・4棟くらいあった。
河口のような小さな町にリゾート風の高層マンションが何棟もあるのはかなり違和感があったが、そのギャップが逆に面白かった。
そもそも高層マンションを何棟も立てて誰を住ませるつもりなのだろうか。河口の人の所得は中国の大都市と比べると安いように思えるが、国から何らかの補助が出るのかもしれない。
いずれにせよベトナムに対して、中国人は良いマンションに住んでるぜとアピールするなどの思惑があるように思えた。
まだ未完成のようで、テナントや物件は全て空き状態だった。
細かいところまで建築の手が行き届いていた。
ほとんど出来上がっているものの完成はまだのようだ。あたりの人通りは少なく半ゴーストタウン状態だった。
地元感満載の市場に立ち寄る
イミグレーションまでの帰路の途中で地元感満載の市場があったので立ち寄ってみた。
河口市民の台所とも言える市場。
漢方のようなものも売られていた。
市場の雰囲気はベトナムっぽい感じがした。サパで行った市場に少し似ている気がする。
アジアの活気を感じられる。
食料品を主に取り扱う市場のようだ。野菜や精肉をはじめ衣料品、生活用品などが売られていた。
寄り道をしながらイミグレーションまで戻る
中国の時間で18時頃になり、そろそろ日が沈みかけて来たので寄り道をしながらイミグレーションまで戻ることにした。
河口の道は基本的に国境のイミグレーションから北西にまっすぐ伸びているのでそれほど複雑ではないが、細かい路地等が多く張り巡らされておりそこに入ってしまうと方向感覚が狂ってしまう。
僕はベトナムで使っていたSIMカードを使いあらかじめ電波の届くところでグーグルマップを読み込んでおいた。国境に近いところならある程度離れていてもベトナムの電波を拾っていた。
高台の上にあった気象台。河口の天気を予報しているのだろうか。
高台をさらに登ったところ。道の両端には河口には珍しく一軒家が佇んでいた。
河口の町を歩いていたベトナムの少数民族の女性。カラフルなストッキングが特徴的だ。はるばる河口までやってくるのか。
既に建設が完了しテナントが入っている高層マンション。
中国の地図が地面にあった。河口がいかに中国の最果てにあるかが分かる。
中国の領土を示す石碑。このすぐ向こうはベトナムだ。
保安エリアの外から見た中国側のゲート。ガラス張りのバリケード1枚で仕切られているだけだ。
イミグレーション付近にはお土産屋が何店舗かあったが、売られているものはベトナムのサパにも売られていた少数民族の雑貨などだった。値段もサパと比べると倍以上していた。
友好橋を渡りベトナムへ
行きと同様、出国審査を終わらせて友好橋を渡った。
出国審査のフロアは2階にある。陸路での国境超えはやはりワクワクする。
ここで注意したいのが、30日以内にベトナムへ再入国する日本人はビザが必要になるということ。僕はあらかじめ日本のベトナム大使館で取得しておいた。中国の出国審査時にベトナムのビザの有無を聞かれたのでない場合は中国側で足止めを食らうことになる。
また外国人の出国審査は他の中国人、ベトナム人に比べると時間が掛かる。
日が沈む頃にベトナム側に戻ろうとすると、出稼ぎや観光客の帰国と被り、ベトナムの入国審査にかなりの時間を要した。(2、30分くらい待った。)
建物の外まで列が続いていた。